四日市市は、工場と住宅地の分離をめざす都市改造計画を都市計画協会に依頼し、昭和41年に発表しました。
この計画は引継ぎ工業都市として発展させつつ、市域を
(1) 公害発生源を含む重化学工業の立地地域。
(2) ある程度公害のおよぶ地域。
(3) 公害のおよばない地域。
の三つに区分し、(1)と(2)の地域の住民の大規模な集団移転をめざしましたが、住民の反対などによって実現せず、結果的に平和町と雨池町が集団移転しました。
一方で工場地帯と住宅地帯にしゃ断緑地を設けるため、昭和44年日永地区に中央緑地公園が整備されました。
中央緑地公園
(撮影:澤井余志郎氏)
雨池町集団移転跡