三重県と四日市市の初期の対策
戦後わが国では、生産の拡大が何よりも優先されました。10年を経ずして日本経済は戦前規模を上回り、高度経済成長につながっていきます。
この時期、道路、港湾などの産業基盤の整備に多額の公共投資が行われましたが、公園、下水道、廃棄物処理といった生活環境の整備は十分とはいえませんでした。
環境保全の配慮が十分でないうえに、実際の公害規制事務は多数の関係官庁に分かれていました。それぞれの官庁が所轄の産業振興を図りつつ、同時に公害対策を指導していたために、対策をすみやかにとれる体制ではありませんでした。
また、当時は公害という概念もあいまいで、大気汚染や水質汚濁の問題はようやく端緒についたばかりでした。
しかし、現実に環境は悪化していきます。このために、当初、公害への取り組みは、各自治体が行うしかありませんでした。