久留倍官衙遺跡くるべかんがいせき

久留倍官衙遺跡公園
久留倍官衙遺跡って何? くるべ 古代の地名です 訓覇とも書きます 官衙 役所のことです つまり、久留倍という場所にあった 役所の遺跡ということになります 古代には今の三重県は 伊勢国、伊賀国、志摩国からなっていました そのうち、伊勢国の北部、いわゆる北勢地方は、 員弁郡・桑名郡・朝明郡・三重郡・鈴鹿郡・河曲郡 からなっていました さらに、朝明郡は、 たびか・はせつかべ・ぬかだ・おおがね・とよた・くるべ の6つの郷とか里とか呼ばれる地域にわかれていました 久留倍官衙遺跡は、 久留倍の地に置かれた 朝明郡の役所跡と考えられています 1300年以上もの昔から この地に何が起こったの? 「壬申の乱」の時、 大海人皇子一行が立ち寄った可能性がある そして、 聖武天皇が 騎馬400を従えて行幸 元正太上天皇や光明皇后も 一緒に来られた可能性もあります ここには、古代のロマンがある
くるべ古代歴史館内部写真

 

久留倍官衙遺跡公園
グランドオープン


 

くるべ古代歴史公園開園記念企画展
「聖武天皇と久留倍
~再現された正倉院の品々~」

【開催期間】
令和2年10月28日(水)~12月6日(日)

【展示解説会】
令和2年11月7日(土)・11月28日(土)
いずれも午前10時~

 

 

くるべ講演会
「壬申の乱と郡衙
~久留倍官衙遺跡と弥勒寺官衙遺跡群~」

令和2年11月21日(土)13:30~15:00

 

 

くるべで火をおこそう!

令和2年12月20日(日)

 

 

久留倍官衙遺跡公園ボランティア募集のお知らせ

 

 

くるべ古代歴史館からのお願い

ご来館のお客様に以下のようにご協力をお願い致します。

 

 

体験イベント 休止継続のお知らせ

しばらくのあいだ休止いたします

 

久留倍官衙遺跡=朝明郡役所跡は、Ⅰ期・Ⅱ期・Ⅲ期と時代によって性格の異なる建物が建てられていました。
Ⅰ期(飛鳥時代:7世紀第3四半期=650675年の新しいころ、つまり670年ころ?か~奈良時代:8世紀前半頃)に、正殿・脇殿・東門(八脚門)とそれを囲む塀からなる郡衙政庁が、東向きに建てられていました。郡の政治を行う中心的な建物群です。
Ⅱ期(奈良時代:8世紀中頃から後半)では、全国的にもまれな長くて大きい建物を中心とした建物群が建てられていました。
Ⅲ期(奈良時代末~平安時代前期)では、税で集められた稲をおさめる床を持つ構造の正倉が複数建てられ正倉院が形成されていました。
 
疑問? 
なぜ東向きの建物が建てられたのでしょうか? Ⅰ期のあと、郡の中心の建物はどうなってしまったのでしょう? Ⅱ期の大きな建物は何に使われたのでしょう?
・ ・ ・みなさん、考えてみませんか・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 
 

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四日市市の文化財

四日市市の文化財のイメージ画像
 

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鳥出神社の鯨船行事

鳥出神社の鯨船行事、船の形をした神輿の画像