久留倍官衙遺跡くるべかんがいせき

久留倍官衙遺跡公園
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久留倍官衙遺跡って何? くるべ 古代の地名です 訓覇とも書きます 官衙 役所のことです つまり、久留倍という場所にあった 役所の遺跡ということになります 古代には今の三重県は 伊勢国、伊賀国、志摩国からなっていました そのうち、伊勢国の北部、いわゆる北勢地方は、 員弁郡・桑名郡・朝明郡・三重郡・鈴鹿郡・河曲郡 からなっていました さらに、朝明郡は、 たびか・はせつかべ・ぬかだ・おおがね・とよた・くるべ の6つの郷とか里とか呼ばれる地域にわかれていました 久留倍官衙遺跡は、 久留倍の地に置かれた 朝明郡の役所跡と考えられています 1300年以上もの昔から この地に何が起こったの? 「壬申の乱」の時、 大海人皇子一行が立ち寄った可能性がある そして、 聖武天皇が 騎馬400を従えて行幸 元正太上天皇や光明皇后も 一緒に来られた可能性もあります ここには、古代のロマンがある

久留倍官衙遺跡=朝明郡役所跡は、Ⅰ期・Ⅱ期・Ⅲ期と時代によって性格の異なる建物が建てられていました。
Ⅰ期(飛鳥時代:7世紀第3四半期=650675年の新しいころ、つまり670年ころ?か~奈良時代:8世紀前半頃)に、正殿・脇殿・東門(八脚門)とそれを囲む塀からなる郡衙政庁が、東向きに建てられていました。郡の政治を行う中心的な建物群です。
Ⅱ期(奈良時代:8世紀中頃から後半)では、全国的にもまれな長くて大きい建物を中心とした建物群が建てられていました。
Ⅲ期(奈良時代末~平安時代前期)では、税で集められた稲をおさめる床を持つ構造の正倉が複数建てられ正倉院が形成されていました。
 
疑問? 
なぜ東向きの建物が建てられたのでしょうか? Ⅰ期のあと、郡の中心の建物はどうなってしまったのでしょう? Ⅱ期の大きな建物は何に使われたのでしょう?
・ ・ ・みなさん、考えてみませんか・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


イベント情報

 

秋季企画展

聖武天皇即位1300年記念
古代の祈りを奈良の都から見てみよう!

会期

令和6年10月30日(水)~12月15日(日)

場所

くるべ古代歴史館 学習展示室
 

展示解説会

11月9日(土) ※久留倍官衙遺跡まつり開催中
11月30日(土)
いずれも10:00から
 
 詳しくははこちら 
 


 
 2024年度 これまでのイベントはこちら 
 
 
歴史体験イベントのお知らせ

 

くるべ古代歴史館では、「古代衣装体験」や「木簡体験」の歴史体験イベントをおこなっております。
参加方法については下のバナーからご覧ください。
 
 詳しくはこちら 
 
 

 
 
※くるべ古代歴史公園は年中無休です。

【開園時間】
 4月〜9月 午前6時〜午後8時
 10月〜3月 午前7時〜午後6時
 入園料:無料


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四日市の文化財

 

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鳥出神社の鯨船行事