久留倍官衙遺跡=朝明郡役所跡は、Ⅰ期・Ⅱ期・Ⅲ期と時代によって性格の異なる建物が建てられていました。
Ⅰ期(飛鳥時代:7世紀第3四半期=650~675年の新しいころ、つまり670年ころ?か~奈良時代:8世紀前半頃)に、正殿・脇殿・東門(八脚門)とそれを囲む塀からなる郡衙政庁が、東向きに建てられていました。郡の政治を行う中心的な建物群です。
Ⅱ期(奈良時代:8世紀中頃から後半)では、全国的にもまれな長くて大きい建物を中心とした建物群が建てられていました。
Ⅲ期(奈良時代末~平安時代前期)では、税で集められた稲をおさめる床を持つ構造の正倉が複数建てられ正倉院が形成されていました。
疑問?
なぜ東向きの建物が建てられたのでしょうか? Ⅰ期のあと、郡の中心の建物はどうなってしまったのでしょう? Ⅱ期の大きな建物は何に使われたのでしょう?
・ ・ ・みなさん、考えてみませんか・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
久留倍官衙遺跡 国指定20周年記念版
くるべ×芸能大会 合同祭
日時 令和8年11月14日(土) 12:00~17:15 雨天決行、順延なし
場所 久留倍官衙遺跡公園(四日市市大矢知町2323-1)
写生大会展覧会「久留倍官衙遺跡を描こう!」展
会期 9月12日(土)~11月1日(日)
会場ではお気入り投票も受付中です。