
久留倍官衙遺跡=朝明郡役所跡は、Ⅰ期・Ⅱ期・Ⅲ期と時代によって性格の異なる建物が建てられていました。
Ⅰ期(飛鳥時代:7世紀第3四半期=650~675年の新しいころ、つまり670年ころ?か~奈良時代:8世紀前半頃)に、正殿・脇殿・東門(八脚門)とそれを囲む塀からなる郡衙政庁が、東向きに建てられていました。郡の政治を行う中心的な建物群です。
Ⅱ期(奈良時代:8世紀中頃から後半)では、全国的にもまれな長くて大きい建物を中心とした建物群が建てられていました。
Ⅲ期(奈良時代末~平安時代前期)では、税で集められた稲をおさめる床を持つ構造の正倉が複数建てられ正倉院が形成されていました。
疑問?
なぜ東向きの建物が建てられたのでしょうか? Ⅰ期のあと、郡の中心の建物はどうなってしまったのでしょう? Ⅱ期の大きな建物は何に使われたのでしょう?
・ ・ ・みなさん、考えてみませんか・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
令和4年 夏季企画展 壬申の乱 1350年記念展示
想像してみよう。壬申の乱と四日市
7月13日(水)〜9月4日(日)
展示解説会
7月16日、8月6日(小学6年生〜中学生向け)、
8月27日 いずれも土曜日、10:00から
壬申の乱1350年イベント
壬申の乱の日に太陽を見よう!
7月29日(金)(このイベントは終了しました)
10:30〜12:00(10:00受付)天候不良時中止
夏休み自由研究講座 ①
ハンカチを青く染めよう!
8月5日(金)(このイベントは終了しました)
10:00〜12:00(9:30受付)小雨決行
夏休み自由研究講座 ②
古代の門を知ろう!つくろう!
8月20日(土)
第1部 10:00〜11:30(9:30受付)
第2部 14:00〜15:30(13:30受付)