久留倍官衙遺跡くるべかんがいせき

久留倍官衙遺跡公園
久留倍官衙遺跡って何? くるべ 古代の地名です 訓覇とも書きます 官衙 役所のことです つまり、久留倍という場所にあった 役所の遺跡ということになります 古代には今の三重県は 伊勢国、伊賀国、志摩国からなっていました そのうち、伊勢国の北部、いわゆる北勢地方は、 員弁郡・桑名郡・朝明郡・三重郡・鈴鹿郡・河曲郡 からなっていました さらに、朝明郡は、 たびか・はせつかべ・ぬかだ・おおがね・とよた・くるべ の6つの郷とか里とか呼ばれる地域にわかれていました 久留倍官衙遺跡は、 久留倍の地に置かれた 朝明郡の役所跡と考えられています 1300年以上もの昔から この地に何が起こったの? 「壬申の乱」の時、 大海人皇子一行が立ち寄った可能性がある そして、 聖武天皇が 騎馬400を従えて行幸 元正太上天皇や光明皇后も 一緒に来られた可能性もあります ここには、古代のロマンがある
くるべ古代歴史館内部写真

 

夏季子ども向け講座
「久留倍官衙遺跡をまなぼう!」
学芸員が1組ずつ直接、遺跡についてわかりやすく解説します!

【対象】小学6年生から中学3年生まで
【日時】令和2年8月8日(土)・9日(日)・16日(日)
    各日とも10時以降、各回30分で全5回
【定員】各回1組2人まで(要予約、先着順)

 

 

くるべ古代歴史館からのお願い

ご来館のお客様に以下のようにご協力をお願い致します。
~来館自粛が緩和になりました~

 

 

体験イベント 休止継続のお知らせ

しばらくのあいだ休止いたします

 

 

夏季企画展のお知らせ
「調べてみよう!久留倍官衙遺跡のこれまでとこれから」

令和2年7月16日(木)~9月6日(日)

 

久留倍官衙遺跡=朝明郡役所跡は、Ⅰ期・Ⅱ期・Ⅲ期と時代によって性格の異なる建物が建てられていました。
Ⅰ期(飛鳥時代:7世紀第3四半期=650675年の新しいころ、つまり670年ころ?か~奈良時代:8世紀前半頃)に、正殿・脇殿・東門(八脚門)とそれを囲む塀からなる郡衙政庁が、東向きに建てられていました。郡の政治を行う中心的な建物群です。
Ⅱ期(奈良時代:8世紀中頃から後半)では、全国的にもまれな長くて大きい建物を中心とした建物群が建てられていました。
Ⅲ期(奈良時代末~平安時代前期)では、税で集められた稲をおさめる床を持つ構造の正倉が複数建てられ正倉院が形成されていました。
 
疑問? 
なぜ東向きの建物が建てられたのでしょうか? Ⅰ期のあと、郡の中心の建物はどうなってしまったのでしょう? Ⅱ期の大きな建物は何に使われたのでしょう?
・ ・ ・みなさん、考えてみませんか・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 
 

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四日市市の文化財

四日市市の文化財のイメージ画像
 

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鳥出神社の鯨船行事

鳥出神社の鯨船行事、船の形をした神輿の画像