四日市の歴史

北勢地域のおいたちと自然環境


この地域は、鈴鹿山脈をつくったマグマの活動があり、その後海や湖が 広がったり後退したりしながら、土砂が堆積(たいせき)し、さらに山の土砂も川の水によって運ばれ平野がつくられました。1600万年前からの化石により当時の植物や動物の種類もわかります。200万年前のゾウであるアケボノゾウの臼歯(きゅうし)が四日市で発見されています。
 

原始・古代の人々の生活


石器が貴重な生活用具だった旧石器時代。土器をつくり竪穴住居に住むようになった縄文時代。大陸から伝えられた稲作や青銅器をつくる技術によって生活が大きく変化した弥生時代。権力の象徴である大型の前方後円墳をはじめとするさまざまな古墳が築造された古墳時代。
 

四日市と四日市庭浦の成立


平安時代の終わり、四日市を含む朝明郡・三重郡は、伊勢神宮の土地となりました。 鎌倉時代のころには定期市が開かれ、四日市も地名のとおり「四」のつく日に市が立ちました。 一番古い「四日市」の地名は、文明5年(1473)の神宮の文書に出てきます。 当時、市と湊があったことがわかります。
 

東海道と伊勢参宮道の賑わい


江戸幕府は五街道を整備し、人々の往来がさかんになりました。四日市は東海道・伊勢参宮道・巡検街道・八風街道などが通る交通の要衝で、伊勢参りの人々で賑わいました。また、四日市は伊勢湾の重要な港の一つでした。熱田の宮と桑名の「七里の渡し」が有名ですが、四日市と宮、伊勢、津などの湊とも結ばれていました。浮世絵から当時の旅や町のようすがわかります。
 

四日市港と近代産業の発展


明治になり日本は欧米諸国を手本にした近代化をはかりました。四日市は、港が整備され伊勢湾で一番の港になりました。鉄道も開通し、産業が発展しました。港の整備や近代産業の発展に力を尽くした四日市の人々の活躍によって、産業都市四日市が誕生したのです。「市」の町から産業の都市に変わっていきました。
 

戦災からの復興と都市の創造


産業の都市四日市は、太平洋戦争でアメリカ軍の空襲を受け、市街地や臨海工業地域は 焼け野原となりました。1952年講和記念の四日市大博覧会、1955年四日市高校の 夏の高校野球優勝など戦後復興の明るい出来事がある半面、伊勢湾台風による大きな災害もありました。 四日市は石油コンビナートがつくられ、再び産業都市として発展します。 その間、公害問題が起こりましたが、現在では公害を克服した経験を生かした町づくりをすすめています。