鯨船行事について

鯨船行事の不思議 

 ここで、ひとつ大いに疑問となることがあります。「鳥出神社の鯨船行事」のある富田はもとより、ほかの鯨船行事のある地域でも捕鯨を生業としたところがないことです。捕鯨を生業とするためには鯨が捕れなければなりません。たとえ寄り鯨があったとしても、それを捌く道具や組織がなければ処理できません。
 尾鷲のハラソ祭り(海上の模擬捕鯨行事)ならば実際に捕鯨を行っていた地域ですから理解が出来ます。捕鯨を行ってこなかった地域にこの祭りが伝えられていることは不思議ですが、徳川吉宗が紀州藩主であった頃、松坂の紀州藩領に捕鯨を行わない、軍事教練のための鯨組が置かれていたことや、伊勢湾を紀州藩の御座船「万歳丸」が航行していたことの影響と見る向きもあります。なお、鳥出神社には御座船模型(四日市市指定有形民俗文化財)があり、これが奉納された頃(天明元年(1781))から行事が始まったとの伝承もあります。



御座船模型 2艘
(四日市市指定有形民俗文化財)
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鯨と鯨船行事

 鯨は、その大きさから富みや豊穣の象徴とされ、古式捕鯨の頃より「鯨一頭七浦潤う」と言って大漁や富貴の象徴とみなされてきました。捕鯨は鯨を捕る人たちばかりでなく、陸で待ち受けて引き上げる人たち、それを手早く解体する人たち、また鯨は哺乳類ですから腐敗が早いので腐らないように加工することも必要です。また、それを流通させる人たち。「鯨一頭七浦潤う」とはこういうことなのです。鯨船行事はその古式捕鯨の鯨捕りを祭礼行事の風流の中に取り入れたものとして注目されます。