旧四郷村役場

旧四郷村役場築100年

築100周年

旧四郷村役場は、令和3年6月でちょうど築100年です
地元の実業家 伊藤伝七翁の寄附により建てられ、地元の方にたいへん愛されてきました
産業都市 四日市の発展を象徴する貴重な近代建築物として、みんなで大切にして、未来へ継承しましょう

本年5月30日に予定していた築100年記念式典を、新型コロナウイルス感染拡大防止により中止としたため、このコーナーでは、式典で行われる予定の内容を下記動画等によって公開します。
●市長あいさつ  
●保存会会長祝辞  
●専門家による紹介文  
●四郷小学校児童による作文
また、笹川中学校合唱部及び四日市四郷高校吹奏楽部による記念の合唱・演奏は、別途収録し、映像を保存しております。

ごあいさつ

森 智広(もり ともひろ)
四日市市長


祝辞

古川芳彦(ふるかわ よしひこ)氏
四郷郷土資料館館長
(四郷郷土資料保存会会長)


紹介文

栁澤宏江(やなぎさわ ひろえ)氏
建築史家・四日市市文化財保護審議会委員
豊橋科学技術大学・名古屋造形大学 非常勤講師

 

旧四郷村役場の創建100周年を迎えて

 旧四郷村役場は、1921年(大正10年)6月、四郷村の実業家であった10世伊藤傳七、伊藤傳平の寄付により建築され、近年の約40年間は四郷郷土資料館として保存・活用されてきた四日市市指定有形文化財です。2021年に100周年を迎えるのを期に、耐震補強を目的とした大規模修理に着手されます。修理に際しては、これまでより展示公開範囲を広げて、建物自体も見学しやすく、また新たな活用方法や展示方法が検討されるなど、保存活用の新たな局面を迎えることになります。現在まで本建物の歴史的価値を残し、伝承することを主導し尽力されてきた四郷郷土資料保存会、ボランティアの皆様方、地域の文化的振興を担う市職員、関係の方々に心からお喜び申し上げます。
 旧四郷村役場の建築は、大正時代、三重県の各地に出現していた木造の西洋建築です。木造2階建で軒が高く、建物正面には格調高い車寄せが設けられ、外壁は化粧柱と上げ下げ窓がリズミカルに配置されています。敷地は、四郷村から遠く四日市湾を臨む丘陵地が選ばれ、東端に聳(そび)える塔からは、湾岸施設まで見渡すことができます。このような建築のデザインと立地の関係は、地域の在来の産業を基盤に発展した近代商工業の隆盛、鉄道施設の充実による海運の活用、そして地方都市の産業社会を支えた公共役場の役割を如実に語っています。その姿は、まさに四日市市の近代化のあり方を象徴しているといっても過言ではないでしょう。
 旧四郷村役場を保存する地域ボランティアの方々は、長い間、本建物を通じて四日市市の近代化のあり方を伝承してこられました。本建物は、平成6年、名城大学で教鞭を執った伊藤三千雄先生の監修によって車寄せが復原された他、過去に若干の改修や老朽化による修理がなされましたが、この度の耐震改修工事によって最も大規模に解体されます。解体によって、建物の新たな魅力が判明する可能性があるため、工事が四日市市職員指導のもと、丁寧に遂行され、工事記録が保存修理報告書にまとめられて継承されることを期待します。
 明治時代から大正時代にかけて、四郷村から興った近代産業とこれに従事した人々、育んだ地域に思いを馳せ、四日市市の近代化を象徴する旧四郷村役場が末永く保存され、四日市市内外の子ども達に伝え続けられることを祈っています。


児童による作文

四郷小学校児童

四郷郷土資料館から学んだこと

 創立百年、おめでとうございます。
 私たちは、三年生の時に勉強で、四郷郷土資料館に見学に行きました。資料館の中には、見たことのないものや何に使うか分からないようなものがとてもたくさんあったことを覚えています。
 その中で一番心に残っているのは、かいこのまゆから糸をつむいで絹糸をとっていることです。そこで、昔の糸の取り方を初めて知り、おどろきました。
 ちょうど今、大河ドラマで『青天を衝け』が放送されています。そこに「おかいこ様」が出てきました。昔の人はかいこをとても大切にしていました。それは、かいこのまゆから取られた絹糸で織られた布地は、主要な輸入品でもあり、日本の近代化を支えたからです。
 四郷地区に亀山製絲工場があります。ここでもかいこから絹糸を取って売り出していたそうです。
 みなさんは絹糸をさわったことがありますか。私は以前、伊賀で組みひもを作りました。伊賀の組みひもは絹糸を主に使っています。組みひもを編みながら「この絹糸はおかいこ様から取った糸なんだな。」と思い、細くてなめらかだけれど、丈夫な絹糸のすばらしさを実感しました。
 四郷郷土資料館には、昔の電話やアイロンなどたくさんの物が展示されています。昔のくらしや四郷地区のすばらしさを知ることができる四郷郷土資料館。耐震工事が終わったらまた行きたいと思います。
 

ぼくらの四郷

 ぼくは四年生の時、社会科の時間に伊藤小左衛門さんについて学びました。ぼくは今まで四郷地区の有名人は伊藤小左衛門さんだけかな、と思っていました。
 でも、そのあと、興味があって四郷の名所をいろいろ調べてみると「伊藤傳七」という人が出てきました。その人について調べてみたら、四郷と関わりのある人だということが分かりました。伊藤傳七さんは伊藤小左衛門さんのいとこで、いっしょに紡績の研究をしていました。
 その後、自分たちが通う四郷小学校についても調べてみました。小左衛門さんは、「学制」が広くいきわたったことを受けて、以前から珠算や読み書きを教えていた私塾を「笹川学校」として開設しました。これが現在の四郷小学校となります。
 今の四郷は、この二人のおかげで成り立っていると思っています。僕が大人になっても、この話を大切に残していきたいです。
 そして、四郷はとても歴史の魅力があるということも大切にしていきたいです。
 

四郷郷土資料館のすばらしさ

 私の通う小学校のそばに四郷郷土資料館があります。今から百年前の大正十年に村役場として建てられました。当時としてはとても近代的なりっぱな建物で、「日本一の村役場」と言われ、村民の自慢の建物だったそうです。それから時が経ち、痛みもはげしく、取り壊しになりそうだったところを、地元の人たちの熱い願いの末、昭和五十七年に四日市市の有形文化財の指定を受け、保存されることになりました。今もこうしてこの場所に百年前と同じ形で残っているのは、当たり前のことではなくて、この旧村役場に対する地元の人たちの特別の思いがあったからなんだと知りました。
 私がはじめて四郷郷土資料館に行ったのは、二年生の時でした。偶然開いていることに気づき入ってみました。昔の古いものがたくさん置いてありびっくりしたのを覚えています。ボランティアガイドの方が一つ一つ丁寧に教えてくださいました。三年生になると学校の授業で見学に行く機会もありました。昔のおもちゃを実際にさわらせてもらったり、気になっていた亀山製絲工場についてくわしく説明していただいたりしました。
 この四郷郷土資料館は、昔のことやこの四郷地区の歴史を教えてくれる、とても貴重な場所です。四郷地区の人たちが、百年、二百年と大事にしてきたように、これから百年、二百年と私たちが守っていくことが大切だと思います。