浜田城跡は、近鉄四日市駅近くの鵜の森公園にあります。城は、赤堀城主田原景信(たはらかげのぶ)の三男忠秀(ただひで)によって文明2年(1470)に築かれました。田原氏はもともと上野国(こうずけのくに)赤堀庄(今の群馬県伊勢崎市)に住んでいましたが、応永年間(1394〜1428)に景信(かげのぶ)が伊勢に移り、四日市の栗原(今の赤堀)に城を構えたとされます。景信は、長男の盛宗(もりむね)を羽津に、次男の秀宗(ひでむね)を赤堀に、三男の忠秀を浜田に配しました。これが世に言う赤堀三家です。
忠秀は東海道を城の東に移して交通の便を図り、また、四日市庭浦(よっかいちばうら)港)と市場の整備を行いました。その結果16世紀の中ごろには市場も整い、「四日市」と称され地名の起源となりました。
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十六間四方白星兜鉢
(じゅうろっけんしほうしろほしかぶとばち) |
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