HOME >> 郷土史への扉 2012/1月上・下旬合併号
2012 YOKKAICHI
郷土史への扉
市内の文化財などをたどりながら、郷土の歴史を紹介するコーナーです。
今回紹介するのは、日永にある県指定史跡「日永の追分」です。
日永の追分追分とは道が二またに分かれるところで、日永の追分は、京に向かう東海道と伊勢参宮道の分岐点にあたります。
ここには桑名の伊勢神宮への「一の鳥居」に次ぐ「二の鳥居」が建てられました。鳥居は、安永3年(1774)に奉献(ほうけん)され、その後たびたび建て替えが行われ、現在のものは昭和48年(1973)の伊勢神宮式年遷宮の際に、伊雑宮(いぞうぐう)の鳥居を移設したもので9代目にあたります。
現在の追分には、常夜燈3基、道標(どうひょう)、清めの手水所(ちょうずどころ)があります。常夜燈のひとつは奉献時から存在したと推定されます。道標は、明暦(めいれき)2年(1656)に建てられたものが、嘉永2年(1849)に新たな道標を建てた際、追分神明社(しんめいしゃ)に移り、さらに明治の神社合祀(ごうし)にともない、合祀先である日永神社に移されました。それには「京」「山田」「南無阿弥陀仏 恵心(けいしん)」「明暦二丙申(ひのえさる)三月吉日」とあり、現存する日永の追分に関わるものとしてはもっとも古いものです。
日永は、江戸時代に四日市宿と石薬師宿の間にあることから、「間(あい)の宿(しゅく)」とよばれ、周辺には多くの旅篭(はたご)や茶店(ちゃみせ)などが建ち並んで賑(にぎ)わっていたといわれています。
地元住民の皆さんによる日常のお世話により、日永の追分は今も守られています。
問い合わせ先 …社会教育課(Tel 354-8240 Fax 354-8308)
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