HOME >> 郷土史への扉 2011/7月上旬号
2010 YOKKAICHI
郷土史への扉
市内の文化財などをたどりながら、郷土の歴史を紹介するコーナーです。
今回紹介するのは、富田三丁目にある県指定史跡「富田の一里塚跡(いちりづかあと)」です。
一里塚とは、江戸時代、主要な街道に1里(約4km)ごとに築かれた塚のことです。榎(えのき)などが植えられ、旅人の道路標識となっていました。
四日市市内には東海道が通っており、北から富田・三ツ谷・日永・采女の順に一里塚が築かれていました。
今回紹介する「富田の一里塚跡」は、西富田町から富田三丁目に向かって三岐鉄道と近鉄のガード下をくぐったすぐ右側にあります。江戸時代の富田は桑名宿(くわなしゅく)と四日市宿(よっかいちしゅく)の「間(あい)の宿(しゅく)として旅篭(はたご)や茶店(ちゃみせ)が軒を連ねていました。文化3年(1806)に道中奉行所(どうちゅうぶぎょうしょ)により作られた『東海道分間延絵図(とうかいどうぶんげんのべえず)』によると、東富田と西富田の間に松並木が続き、その中間に一里塚が描かれています。
現在では、榎や松並木は姿を消し、一里塚があったことを示す石碑とそのかたわらに架かる橋に「一里塚橋」の名前が残るのみです。
江戸時代の旅人は、1日で約32〜40kmを歩いたそうです。1日でこれだけの距離を歩くのは大変ですが、江戸時代の旅人をしのびつつ、東海道を散策してみてはいかがでしょうか。

問い合わせ先 …社会教育課(Tel 354-8240 Fax 354-8308)
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