HOME >> 楠町そぞろ歩き 2004/12月上旬
2004 YOKKAICHI
楠町そぞろ歩き
歴史ある町を散策してみませんか
 今回は、楠町の名の由来からみた歴史をご紹介しましょう。楠町の名の由来には、2つの説があります。
 自然の要衝(ようしょう)として栄えた港町
 1つは、海上輸送の拠点として栄えた「国津(くにつ)」という名が転じて「くす」となったという説です。
 楠町は、伊勢湾と鈴鹿川などに囲まれた自然の要衝(ようしょう)であったことから、港町として栄えました。海岸線は、現在の地点から約2キロメートルも内陸にあったと言われています。このことは、伊勢神宮に残る古文書にも港と関所があったと思われる記載があります。また、内陸部に港があったことの痕跡として「江川」と呼ばれる入り江が残っています。
 楠正成(くすのきまさしげ)ゆかりの地
 もう1つは、楠正成(くすのきまさしげ)の子孫である楠一族が代々城主を務めたことからきているという説です。
 楠城の築城は、南北朝時代の1369年。初代の城主は信濃の国諏訪の豪族、諏訪十郎貞信(すわじゅうろうさだのぶ)でした。その後、4代目城主に楠正威(くすのきまさたけ)が入城してから、楠氏8代目城主正盛(まさもり)が秀吉に滅ぼされる1584年まで、楠一族が代々城主を務めました。現在、楠城跡には史跡を示す標柱と楠城の変遷の解説板が設置され、その傍らには明治40年に地元の人たちが楠氏をしのんで植えた「くすのき」の大木がそびえています。この「くすのき」は、本市と同じで楠町の木に指定されています。また、楠城跡周辺の本郷地区にある正覚寺(しょうがくじ)は、楠氏の菩提寺です。ここには、楠城主の墓があり、楠正成(くすのきまさしげ)がかぶとの中に納めた霊符とされる神鏡などもまつられています。
 歴史散策路を歩こう
 この本郷地区は、楠町の歴史スポットが多く、歴史の散策路を歩いてめぐることができます。中でも来教寺は、度重なる災害により建物を失いましたが、四日市市富田の善教寺の本堂を譲り受けて再建しました。このお寺には、正成(まさしげ)の守り本尊である阿弥陀如来像があるほか、近隣で廃寺となった泰応寺や華台寺の本尊も安置されています。
江川 楠城跡
▲「江川」 ▲楠城跡
問い合わせ 楠町企画課TEL98−3112
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