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トップページ四日市公害について現在 > 四日市公害裁判原告の思い

四日市公害について

リレートーク97野田之一さんのインタビューから

塩浜地区に大きな工場がきたときの感想は…

 磯津地区の人は、塩浜地区に大きな工場がきて人口も増えるし、漁師をやり、また工場にも働きに行けるので前途有望と思った。4万坪もある工場が動いたら、横浜みたいなところだと思った。大きな大都市ができて、その近くにいて、その中に入っていけると地域の人は喜んだと思う。

裁判について……

 行く所がなかった。企業に訴えても共同企業体というか、どこもはっきりと答えてくれる所がなかった。事実はあったのだから、あの時点で企業なり行政が、あんたたちすまなんだと謝ってくれたら、裁判は起こさなかったかもしれない。裁判を起こすときは、大きな会社に勝てるわけがないと地区の人も私も思っていたが、負けてもいいじゃないか。とにかく起こそうと言うことでしました。勝って何とも言いがたい感じであった。

裁判時の写真

当時の環境について…

 奇形になった魚見たことがある。私たちは奇形になった魚を食ったことがある。奇形になった 魚を見て、こんな馬鹿なことがあるのか、本当にこんなことが世の中にあるのかと思った。こんな恐ろしいことは私たちでは想像もつかなかった。私ら空気と水がきれいなので育ったのが自慢であるのに、夜起きるとフレアースタックの明かり見え、工場の煙がこちら向いているのは今では想像もできないだろうな。当時の煙突は30mや50mで、今みたいに200mで無かったので酷かった、これかも想像してもらえばいいと思う。

自然環境について…

 私たちは学校の帰り、橋を渡らずに川をわたって帰りました。エビとカニを川で取って帰って、晩ご飯に食った思い出がある。変われるものなら昔の磯津にかえって欲しいと思う。・現在の四日市はどのように思うかきれいになったと言われるが、私これは社会悪と思う。なぜかというと昔は石鹸も使わず手を洗ったり洗濯をしていたが、石鹸を用いて洗濯して、何も抵抗感じないで水を捨てているのは、やっぱり社会悪と違うか。ふと思ったとき俺の心が間違っているのかなと思う。海で生活している私でさえ考えるのだから、今ここに住んでいる人も感じると思う。やっぱりこんなことでは、昔の自然が戻ってこないのも、当たりまいやわな。

子供たちに伝えていきたいことは…

なかなか言葉では表すことができないが、私たちが子供のころは大変楽しかった。今の子供はゲームなどで遊んでいるが、カニやエビを川の中でとる方法を教えてやりたいし、できるようになったらいいなと思う。これは一度自然を失い、四日市公害を経験したから余計に思う。また、私の心中では四日市公害はまだ終わっていないと思うのは、裁判を起こしたのは元に戻すために起こしたのだから、元に戻らんだ時点では、まだ裁判を終わった気持ちはしない。というのは、9人の仲間いたし、犠牲になって死んだ人もいるので良くなったと言われる時点でも、心から四日市がきれいになったと喜ぶ気持ちになれない。

 

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