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四日市公害について

対策の進行と市民の注目

昭和40年2月10日付の新聞には、
「公害病、治療費を全額市費負担」
「市長、悩む市民へ決断」「患者認定に審査会/近く設立」
「来年度から臨時に措置」
といった市の対策が報じられています。
 続いて2月19日付
「公害病審査会が発足」
「四日市市、治療費を市負担」

その決定は市民の側、患者のことを考えたユニークな決断で あったことがうかがわれる記事となっています。

しかし治療を受けることはできても完治(完全に病気が直ること)はせず、年を追うごとに環境は悪くなる一方…。
いくら一生懸命治療しても一歩外へ出れば、また汚れた空気…。患者数は増え続けました。 根本的な解決には程遠かったのです。
「ふえる一方の公害病患者/四日市」
「治療効果はさっぱり」

・・・このころ(昭和40年代)にはいると、新聞マスコミに公害という文字が見られない日はない、というほど公害問題は日本各地で発生し報道されるようになっていました。

 昭和40年を過ぎると
「環境庁、9月から改正作業」
「亜硫酸ガス来春までに新基準」
「現行より2倍厳しく達成目標3年繰り上げ」
「総量規制、繰り上げて」
「硫黄酸化物、二割減めざす」

国や県の取り組みについての報道が目立ち始めます。
 一方で、四日市コンビナートで事故があいつぎました。
「ことし既に11度目」
「欠陥明るみいつも後手」
「机上の防災計画か?」

「市民の安全防げない」などの見出し。
爆発事故の被害の写真など、当時の事故の大きさをうかがわせます。
「排脱装置に90億円投資」
「硫酸廃棄物の排出規制、中小企業も対象に(四日市)」

などの対策も報道されている。
この影には市民の意識が公害に批判的になって来ていること、対策の進行に目が向けられはじめたことをうかがわせます。

 

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