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四日市公害について

約半世紀前、当時の日本は戦後復興から高度経済成長期に入りました。経済優先の社会背景のもと、本市を含む全国各地に大規模な工場が次々と建設され、工場周辺ではさまざまな公害が発生しました。
 本市でも、大気汚染によって多くの人々がぜん息に罹患(りかん)するなど「四日市公害」と呼ばれる深刻な公害問題が生じました。

 こうした状況を受けて、全国に先駆けて昭和40年に本市が実施した公害健康被害者に対する医療費救済制度、そして昭和42年に提起された四日市公害裁判などは、日本の公害問題の解決への道を開き、産業の発展と環境保全を両立させるきっかけとなりました。

 市民、企業、行政が一体となった環境改善の取り組みにより、昭和51年度には、ぜん息の主な原因とされる二酸化硫黄濃度が、国の基準を市内全域でクリアするなど、大幅に環境が改善されました。





 

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