まつりの歴史

■ 大四日市まつりの沿革

 昭和39年に、それまで中部地区の商店街を中心に行われていた「四日市みなとまつり」を発展的に継承し、四日市全市民が挙って参加でき、躍進する工業都市・四日市の姿にふさわしいまつりとして始められたのが「大四日市まつり」です。

 第1回は前夜祭にはじまり、パレード、大四日市おどり、諏訪太鼓などを中心とし、第2回からは中日新聞社提供・花火大会がまつりの前ぶれとして花を添えます。市制記念日(8月1日)から開港記念日(8月4日)の4日間に行われる真夏の祭典「大四日市まつり」は、新しいまつり絵巻を作ろうとスタートしたのでした。

 一方で古くから伝わる「四日市祭(中部地区)」の名物である「大入道(中納屋町)」「鯨船・明神丸(南納屋町)」などの郷土文化財が第2回にはじめて披露され、第6回以後は恒例行事となり、また第9回(昭和47年)には、市制75周年を記念して「大念仏(四郷地区)」「鯨船(富田地区)」などの市内の伝統的な祭礼行事が披露されるようになりました。
 その後、幾多の変遷を経て、現在は8月の第1土日に開催。初日(土曜)は「おどりの日」として市民参加の踊りなどを中心に、2日目(日曜)は「郷土の文化財と伝統芸能」を中心に、市内各地の祭礼行事を、各年ごとのテーマに沿って紹介する構成になっています。

 文化都市四日市を創る「大四日市まつり」は、夏の風物詩として市民に親しまれています。

■ 大四日市まつりのもとになったまつり

 「大四日市まつり」は、昭和39年までに開催されていたいくつかの催しが統合されたまつりです。そのために、現在でもそれぞれの要素が「大四日市まつり」のなかで受け継がれています。

商品祭

 昭和3年8月10日、11日、第1回商品祭が四日市商業会議所の主催によって行われました。四日市市は昔から「四日の市」など商業によって繁栄し、商家は商品のおかげで日々の生活を営むことができるとの気持ちをあらわすため、商品に感謝し、商品を尊敬するという趣旨から始まったのです。
 当日は諏訪神社の社殿に各商家が取り扱う商品を供え、多くの参列者を迎え、盛大な商品感謝祭が行われていました。また、市内の各店舗では大売出しや福引などが行われていたようです。

七夕まつり

 昭和28年から商店連合会の主催によって、店頭だけではなく街頭まで笹飾りで美しく装飾され、また、けん牛・織女の二星が三滝橋上で劇的な会合をするなど盛沢山なアトラクションが行われるようになりました。

港まつり

 商品祭が始まったころから開催され、近代四日市の発展の礎になった四日市港を広く紹介するとともに、市民に対して港の重要性を認識してもらい、かつ関心を高めようと毎年7月17日に実施されてきました。「大四日市まつり」で、JR四日市駅前に立つ稲葉三右衛門翁の銅像に献花する式典が執り行われるのは、この行事に由来します。

四日市みなとまつり

 港まつり(7月17日)に前後して、商品祭(8月10、11日)、七夕祭(7月7日)の三つの行事が短い期間に続いて行われていて、経費、効果、趣旨徹底などに反省の余地があるとして協議された結果、昭和34年からこれらの三つの行事を一括して、「四日市みなとまつり」と称して、開港記念日の8月4日から6日間にわたって多彩な行事が展開されることになりました。この年は四日市港開港60周年でもありました。
 翌年からこのまつりを盛り上げようと始まったのが「諏訪太鼓」で、今も「大四日市まつり」の花形です。

■ 四日市祭のこと

 「大四日市まつり」のことを「四日市まつり」と略して言うことが多いようですが、「四日市祭」は別のお祭りです。「四日市祭」について紹介します。

四日市祭とは

 「四日市祭」は、旧四日市地域(現在の中部地区とほぼ等しい地域)の氏神である諏訪神社の例祭です。始まった時期、由来ともにはっきりしたことはわかっていませんが、年代を示す資料としては、戦災で焼失した北町の大山車の幣束の裏に「延宝七年(1697)已未七月」とあったとされるのが最も古いもので、 300年以上の歴史を持つと推測されています。
 祭礼日は江戸時代には7月27日で、明治の改暦でひと月遅れの8月となり、さらに明治15年頃からは疫病や天候の関係からそのつど協議して日程を決めていましたが、明治25年頃からは9月25日から27日にほぼ固定されることになりました。
 祭礼は、「式典」と、西町が奉じる御旅所への「神輿の渡御」、「大山車」4輌による「花納めと舞獅子奉納」、各氏子町の「黎(ネリ)」(戦前は26ヶ町)の奉納が行なわれました。「黎」とは、氏子各町が競って趣向を凝らし、神前へ奉納する「風流」のことで、江戸時代の都市祭礼の形式をそのまま残していたといわれています。

戦後の四日市祭の歴史
 華やかだった四日市祭も、昭和20年(1945)の四日市空襲により「大山車」や「ネリ」のほとんどを焼失してしまいます。戦後、舞獅子やいくつかのネリが復活し、昭和30年代半ばには賑やかさを取り戻したかに見えたましが、昭和44年からネリが奉納されなくなり、さらに49年の四日市大水害でその年の祭礼が中止となったことが契機になり、翌年からは大幟の奉納と式典のみが神社で執り行われるだけとなってしまいました。


現在の四日市祭

 市民に忘れかけられていた伝統的な祭礼を復活させようとの機運が高まって、平成9年に「秋の四日市祭」が10月の第1日曜とその前日の土曜に開催されるようになり、諏訪神社へのネリなどの奉納が復活します。そして平成14年には諏訪神社の例大祭「四日市祭」の「式典」も正式に10月第1日曜日に変更となりました。
 現在行なわれている「四日市祭」(「秋の四日市祭」とも呼ばれています)の奉納行事には、戦前からの流れを汲む「大入道」「鯨船・明神丸」「大名行列」「富士の巻狩り」「菅公」「岩戸山」「甕破り」「浜田舞獅子」「南浜田舞獅子」「西町神輿(平成14年を最後に休止中)」と「諏訪太鼓」「御諏訪神輿」があり、「大四日市まつり」へも毎年いくつかが出演しています。

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