古代朝明の風景 久留倍官衙遺跡展

四日市市大矢知町で発見された久留倍官衙遺跡は、四日市市では、はじめて国の史跡に指定された遺跡で、古代の行政区画でいうところの伊勢国朝明郡の官衙(役所)ではないかと言われています。
今回の企画展では、その久留倍官衙遺跡を紹介するとともに、古代の役所の役割や他国(他府県)の古代の役所の紹介を行い、また、久留倍官衙遺跡が古代の役所として機能していた同時代の朝明郡とその周辺の様相も紹介します。
本展覧会を通じて、古代の朝明郡の風景に想いを馳せ、昔の人々の生活に触れる機会として下さい。

出土遺物

政庁
【久留倍官衙遺跡(国史跡)】
三重県の四日市市北東部、伊勢湾を望む標高約30mの丘陵の東先端部に位置する弥生時代から中世にかけての遺跡です。主要な遺構は古代の官衙(役所)施設で、他国の官衙遺跡にはみられない東を向く政庁・正倉院・その他附随施設などが見つかっています。また、「壬申の乱」や「聖武天皇東国行幸」といった史実と結びつく可能性もある重要な遺跡です。

701年に法律である「大宝律令」が定められます。行政の命令や報告は文書により行うこととされ、地方の役人たちは行政文書を処理するため、毎日机に向かい文書を木簡に記入しました。現在の事務処理のほとんどはパソコンによって行われています。
古代の役所と考えられている遺跡は、全国各地で見つかっています。今回の企画展では、東は静岡県から西は大阪府と、東海地方と近畿地方の代表的な遺跡を紹介しています。
![]() 御子ヶ谷遺跡 (藤枝市教育委員会提供) |
![]() 伊場遺跡群 (浜松市博物館提供) |
古代朝明郡には、役所など公的な施設、有力者の居宅、モノの生産を担った遺跡、一般的な集落、寺院などバラエティに富んだ遺跡があり、これらの遺跡が古代朝明郡を支えていたと考えられます。
![]() 縄生廃寺(県史跡) (朝日町歴史博物館提供) |
![]() 山村遺跡 (三重県埋蔵文化財センター提供) |

平城宮跡(特別史跡)

天武天皇迹太川御遥拝所跡
(三重県史跡)

鏡ヶ池(笠取り池)跡
朝明郡は、日本の古代史上で重要な出来事でもある2つの史実の舞台になっています。672年の「壬申の乱」と、740年の「聖武天皇東国行幸」です。
【壬申の乱】
天智天皇の子である大友皇子と、天智天皇の弟である大海人皇子(後の天武天皇)との間で、皇位継承権をめぐる内乱「壬申の乱」が起こります。天智天皇の亡き後、吉野宮に隠棲していた大海人は、伊賀から伊勢を経て美濃に入り、近江の瀬田唐橋で大友軍と対戦し、大勝利を収めます。大友は自決し、大海人が即位して天武天皇となります。
【聖武天皇東国行幸】
大宰府で藤原広嗣が反乱を起します。その最中、聖武天皇は平城宮を後にして、伊賀・伊勢・美濃・近江・山背に立ち寄り、最後に恭仁宮に遷都を行います。最近の研究では、東国行幸は綿密に計画された行為であり、皇統の再建計画にあったとする見方がでてきています。
弥生時代は、竪穴住居・方形周溝墓・谷などが見つかっており、古墳時代は、竪穴住居・古墳・自然流路などが見つかっています。
中世以降は、火葬墓群・塚墓・井戸などが見つかっています。
![]() 横穴式石室 |
![]() 中世のお墓 |
【ミュージアムセミナー】 「壬申の乱と四日市」
【ミュージアム体験】 「古代土器復元講座」
【講演会】 「古代の役所のたてもの」
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