泗水のイメージ 浮世絵に描かれた四日市
     
 
 泗水のイメージ 浮世絵に描かれた四日市
 
    
 
開催期間
2006年11月7日(火)〜12月10日(日)
開館時間
AM9:30〜PM5:00(入館はPM4:30まで )
休館日
月曜日
観覧料


一般400円、高校大学生200円、小・中学生100円
※幼児は無料、団体割引などあります。 小・中学生は 12月9・10日無料。
主催
四日市市立博物館
 

 
 
 第一章 浮世絵の前夜と奇想(館蔵品による)
 
 
 幕府が江戸に開かれ、世界史上稀にみる平和な時代が到来し、次第に力をつけていく庶民層によって新しい美術が芽生え始める。そのひとつが浮世絵です。  ここでは、その浮世絵の成立前夜から、同時代に作られた絵画を館蔵品でみていきます。
 


 
一.近世初期風俗画と浮世絵

 江戸時代に入ると、それまでわが国で扱われなかった風俗が登場します。そこに描かれた風俗は、安土桃山時代のスタイルを継承した自由闊達な描線と深みのある色面で構成されています。当初は、祭礼などの俯瞰的大構成作品でしたが、次第に数人の男女を題材とした人物本位性を強め、ついには女性の単独像となり、いわゆる美人画・美人版画の成立へとつながって行くのです。

東海道図押絵貼屏風 作者不詳 六曲一双 紙本著色 江戸時代中期 当館所蔵 左隻
東海道図押絵貼屏風 作者不詳 
六曲一双 紙本著色 江戸時代中期 当館所蔵 左隻
東海道五拾三次之内 亀山 歌川広重 版元 竹内孫八(保永堂) 天保四年(1833)刊 当館所蔵
東海道五拾三次之内 亀山 歌川広重 
版元 竹内孫八(保永堂) 天保四年(1833)刊 当館所蔵
 
二.京・江戸 主流の狭間で
山水図 一幅 増山雪斎 絹本墨画淡彩 文化十三年(1816) 当館所蔵
山水図 一幅 増山雪斎 
絹本墨画淡彩 文化十三年(1816) 当館所蔵

 江戸時代中期に入ると、幕府をはじめとして諸大名、武家の官僚化が促進され、武士の芸術パトロンとしての覇気が失われていきました。それに比して上方では、新興商人層の躍進や、高度に洗練された美的伝統をもつ公家衆を中心に新たな創造の活気を維持し続けていました。そのような環境の中で、幕府御用の狩野派に代わって創造性を独占したのが、京都画壇と奇想と称される画家達でした。

老梅図 芦雁図屏風 六曲一双 作者不詳(狩野派) 紙本墨画 江戸時代前期 当館所蔵(九鬼光子氏寄贈) 右隻
老梅図 芦雁図屏風 六曲一双 作者不詳(狩野派) 
紙本墨画 江戸時代前期 
当館所蔵(九鬼光子氏寄贈) 右隻
 
三.伊勢の奇想と変容

 伊勢国は、畿内の隣接地として、また紀州藩の飛び地であった松坂や、地の利を活かした桑名に豪商が出現することとあいまって、上方文化の影響を受けつつ個性的な文化圏を形成していきました。そのような中、曾我蕭白、月僊らの拠点のひとつとなっていったのです。また、本草学の先進地でもあった伊勢国は、その写生技法としての京都四条派の受容も看過できません。

山水図屏風 曾我蕭白 二曲一隻 紙本金地墨画 江戸時代中期 当館所蔵
山水図屏風 曾我蕭白 
二曲一隻 紙本金地墨画 江戸時代中期 当館所蔵
四季草花図巻 帆山唯念 一幅 絹本著色 当館所蔵
四季草花図巻 帆山唯念 一幅 
絹本著色 当館所蔵
仙遊図 月僊 一幅 絹本淡彩 江戸時代中期 当館所蔵
仙遊図 月僊 一幅 
絹本淡彩 江戸時代中期 当館所蔵

 
 
 第二章 泗水のイメージ
 
 
 寛政の改革と相前後して、風景浮世絵がひとつの潮流としてクローズアップされ、当時の旅行ブームに乗って街道絵としてブレイクします。中でも、上方と江戸を結ぶ幹線道路の東海道は重要な題材でした。
 四日市は、東海道と伊勢参宮道の分岐点(追分)として特殊なランドマークをもつ地でしたが、蜃気楼の名所としても知られており、広重の描いた“風の四日市”を契機とする「橋」とともに、基本的なイメージが作り上げられていきました。
 


 
 一.追分

 東海道と伊勢参宮道の分岐点である日永の追分は、四日市のイメージとして格好の素材でした。その場所は、参宮道を示す鳥居、灯籠、道標、饅頭屋などのランドマークに事欠きません。これら伊勢参宮名所図会にも描かれたイメージは、江戸の人々にとって、もっとも身近な四日市像であったと思われます。

東海道 五十三次 四日市 歌川広重 個人蔵
東海道 五十三次 四日市 歌川広重 個人蔵
四日市 五拾五枚続之内 勝川春扇 個人蔵
四日市 五拾五枚続之内 勝川春扇 個人蔵
二.橋(湊)

 巨匠北斎が描く東海道に対抗して、新しい四日市のイメージを作り上げたのが広重でした。彼の東海道絵処女作である保永堂版では、四日市を風と橋で表現しました。以後、「橋」は四日市の重要なイメージとなってゆくのです。

東海道五拾三次之内 四日市 歌川広重 個人蔵
東海道五拾三次之内 四日市 歌川広重 個人蔵
東海道五拾三次之内 四日市 歌川貞広 個人蔵
東海道五拾三次之内 四日市 歌川貞広 個人蔵
三.焼き蛤

 富田の名物「焼き蛤」。富田は間宿あいのしゅく で、現在は四日市市であるが、当時は桑名藩領でした。富田と四日市という隣り合った地域で、蛤と、その蛤が出す気だと考えられていた蜃気楼とが、その地域のイメージとして相乗効果を発揮して、人々に受け入れられたことでしょう。

東海道五拾三次 桑名 富田立場之図 歌川広重 個人蔵
東海道五拾三次 桑名 富田立場之図 
歌川広重 個人蔵
四.蜃気楼

 四日市の蜃気楼は、すでに東海道名所図会にも描かれていますが、広重以後の浮世絵師に、もっともよく取り上げられた題材です。蜃気楼イメージから湊イメージへの展開もみられ、また、蜃気楼から分離して湊風景だけを描くものもあります。

東海道 桑名 歌川周麿 三重県立博物館所蔵 
東海道 桑名 歌川周麿 三重県立博物館所蔵
蜃気楼図(肉筆) 歌川広重 絹本著色 当館所蔵
蜃気楼図(肉筆) 歌川広重 絹本著色 当館所蔵
五.役者・相撲など

 浮世絵のもう一つの潮流である役者絵が、街道と結びつくとどうなるのでしょう。今日のアイドル写真集もロケ地が重要です。当時のアイドルスターが、その土地に縁のある役を演じて登場する。ほかにも関わりのある力士や出来事(人物)などを描いたたシリーズも作られました。中には苦しいこじつけもありますが、「なるほど」と納得できるかどうかは、作者の機知と観者の教養如何ということになるのでしょう。

東海道五十三次之内 四日市 額の小さん 歌川豊国(三代) 個人蔵
東海道五十三次之内 四日市
額の小さん 歌川豊国(三代) 個人蔵
六.新機軸を狙って

 名所図会、北斎、広重らによって生み出された典型からいかに抜け出し、新機軸を打ち出すかということが、あとに続く絵師たちの悩みでした。しかし、その中から生み出された新しい泗水のイメージは、斬新ではありましたが定着することは無かったのです。

東海道五十三次 四日市 絵師不明(葛飾派) 個人蔵
東海道五十三次 四日市 絵師不明(葛飾派) 個人蔵
七.弥次、喜多道中

 享和二年(1802)に始まった『東海道中膝栗毛』の刊行は、大ベストセラーとなりました。もとより、東海道浮世絵は、この刊行の成功と無関係ではありませんが、膝栗毛をモチーフとした浮世絵が出版されるのは、東海道浮世絵が定番シリーズとなってからです。

清書七伊路盤 ひざくりげ 弥次郎兵衛 喜多八 歌川豊国(三代)
清書七伊路盤 ひざくりげ 弥次郎兵衛 喜多八 
歌川豊国(三代)
八.その他

 ある程度確定してきた泗水のイメージは、東海道双六や絵図などにも応用されます。ここからは、泗水のイメージがどのように定型化されたのか、読み取ることができます。また、それは泗水のイメージの人気投票でもあるのです。

東海道張交図会 宮〜庄野 歌川広重
東海道張交図会 宮〜庄野 歌川広重 
五十三次張交 宮 桑名 四日市 歌川広重
五十三次張交 宮 桑名 四日市 歌川広重
 
       
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