展示車輌1F|
展示車輌4F
ジャガー E type レーシング /
ニッサンフェアレディ1500 /
プリンススカイラインGT-B /
プリンスR380 /
ニッサンR382 /
ポルシェ904GTS /
ポルシェ906 /
トヨタ7
ジャガー E type レーシング/Jaguar E Type racing

セシリアレーシング 蔵
1961年3月、3.8リッター・エンジンを搭載してデビューしたEタイプは、ル・マンで活躍したDタイプを、ロードユース向けに発展させたスポーツカー。流れるようなスタイルと、盛り込まれた高度な技術、それでいてアストン・マーティンDB4の半額以下という価格は、当時、大きな話題に。主な輸出先だったアメリカ市場では、XK-Eと呼ばれていました。
展示車輌の詳細は不明ですが、レースで活躍した"ライトウェイト"と同様に、アルミボディで軽量化が図られていること。また、サスペンションやエンジンなど、各部の工作精度がきわめて高度で整然としていることから、メーカーそのもののレーシングカー製作部門か、名のあるコンストラクターが製作したものと思われます、
展示車輌の詳細は不明ですが、レースで活躍した"ライトウェイト"と同様に、アルミボディで軽量化が図られていること。また、サスペンションやエンジンなど、各部の工作精度がきわめて高度で整然としていることから、メーカーそのもののレーシングカー製作部門か、名のあるコンストラクターが製作したものと思われます、
- ●全長x全幅x全高:
- 4450×1660×1220mm
- ●ホイールベース:
- 2440mm
- ●車重:
- 1220kg
- ●サスペンションF:
- 独立ダブル・ウィッシュボーン:トーションバー
- ●サスペンションR:
- 独立 固定長ハーフシャフト ロワー・ウィッシュボーン トレーリングアーム:コイル
- ●エンジン:
- 直列6気筒DOHC
- ●排気量:
- 3781cc
- ●最高出力:
- 269ps/5500rpm(SAE)
- ●生産国:
- イギリス
ニッサンフェアレディ1500/Datsun Fairlady 1500

日産自動車株式会社 蔵
英国製オープン2シーター風のボディで、1961年に登場したフェアレディ1500は、日本初の量産スポーツカー。後期形がテールレンズの形から柿の種と呼ばれる、ブルーバード310のシャシーにセドリックの1500ccエンジンを搭載していました。初期の1500は、横向きリヤシートの3シーター。のちに2シーター化され、1600、2000とエンジンは拡大されました。
展示車輌は、1963年の第1回日本グランプリで優勝した車輌そのもの、ラジオやシガーライターがついたままなのに時代を感じさせられます。最終的に2000ccのSR311にまで発展したフェアレディ・シリーズは、'60年代を通じて活躍し、日本GPの後期には、カテゴリーによっては、ワンメイクレースの様相を呈すほど、たくさんの車輌が出場していました。
展示車輌は、1963年の第1回日本グランプリで優勝した車輌そのもの、ラジオやシガーライターがついたままなのに時代を感じさせられます。最終的に2000ccのSR311にまで発展したフェアレディ・シリーズは、'60年代を通じて活躍し、日本GPの後期には、カテゴリーによっては、ワンメイクレースの様相を呈すほど、たくさんの車輌が出場していました。
- ●全長x全幅x全高:
- 3910×1495×1275mm
- ●ホイールベース:
- 2280mm
- ●車重:
- 870kg
- ●サスペンションF:
- 独立ダブル・ウィッシュボーン:コイル
- ●サスペンションR:
- 固定 縦置半楕円リーフトレーリングアーム:コイル
- ●エンジン:
- 直列4気筒OHV
- ●排気量:
- 1488cc
- ●最高出力:
- 71ps/5000rpm
- ●生産国:
- 日本
プリンススカイラインGT-B/Prince Skyline 2000 GT-B

日産自動車株式会社 蔵
1964年の第2回日本グランプリ出場のために限定生産されたスカイラインGTは、スカイライン1500のノーズを200mm延長してグロリア用6気筒SOHC2000ccエンジンを押し込んだスペシャルバージョン。最初の100台に続いて、カタログモデルとして65年2月に再デビュー。ダブルチョーク・ウェバー3基と、前輪ディスク・ブレーキなどを標準装備した羊の皮を被った狼は、同年の9月、圧縮比を下げキャブレターを1基に減らしたGT-Aの追加によりGT-Bと名を改めました。
さらに1966年10月、マイナーチェンジにより、従来はオプションだった5段ギアボックスとリミテッドスリップ・デフを標準装備。本格的なスポーツ走行に適したモデルになり。レーシングタイアの装着に備えてリアフェンダーの形状も変更されました。
さらに1966年10月、マイナーチェンジにより、従来はオプションだった5段ギアボックスとリミテッドスリップ・デフを標準装備。本格的なスポーツ走行に適したモデルになり。レーシングタイアの装着に備えてリアフェンダーの形状も変更されました。
- ●全長x全幅x全高:
- 4235×1510×1405mm
- ●ホイールベース:
- 2590mm
- ●車重:
- 1095kg
- ●サスペンションF:
- 独立ダブル・ウィッシュボーン:コイル
- ●サスペンションR:
- 固定 縦置半楕円リーフ トルクロッド
- ●エンジン:
- 直列6気筒SOHC
- ●排気量:
- 1988cc
- ●最高出力:
- 125ps/5600rpm
- ●生産国:
- 日本
プリンスR380/Prince R380

日産自動車株式会社 蔵
おそらく国産初のプロトタイプレーシングカーといえるR380は、プリンス自動車工業が世に送りだしました。いまはもうないこの企業が、現在でも広く知られるほどの存在 になった背景には、第1回日本グランプリに参加せず、トヨタが話題をさらうのを見ていざるを得なかった。第2回は、限定生産車のスカイライン2000GTを参戦させたが、ポルシェ904に破れてしまった。という理由があったといわれています。
そこで第3回グランプリのために製作され、見事に優勝したのがR380でした。ブラバムBT8のシャシーに、新開発の2000cc直列6気筒DOHC4バルブエンジン(GR8)を搭載したこのマシンは、前年の1965年、谷田部の自動車高速試験場で当時の7つの国際記録を塗り替え、満を持してグランプリに望んだのです。その後プリンス自工は、日産に吸収合併され、R381、382へと歴史は受け継がれたのでした。
そこで第3回グランプリのために製作され、見事に優勝したのがR380でした。ブラバムBT8のシャシーに、新開発の2000cc直列6気筒DOHC4バルブエンジン(GR8)を搭載したこのマシンは、前年の1965年、谷田部の自動車高速試験場で当時の7つの国際記録を塗り替え、満を持してグランプリに望んだのです。その後プリンス自工は、日産に吸収合併され、R381、382へと歴史は受け継がれたのでした。
- ●全長x全幅x全高:
- 3930×1580×1035mm
- ●ホイールベース:
- 2360mm
- ●車重:
- 622kg
- ●サスペンションF:
- 独立ダブル・ウィッシュボーン:コイル
- ●サスペンションR:
- 独立ダブル・ウィッシュボーン:コイル
- ●エンジン:
- 直列6気筒SOHC
- ●排気量:
- 1996cc
- ●最高出力:
- 197ps/8400rpm
- ●生産国:
- 日本
ニッサンR382/NISSAN R382

日産自動車株式会社 蔵
今回は事情によって展示できなかったR381は、左右2分割で作動するエアロスタビライザーという特徴的なウィングを持ち、'68年の第5回日本グランプリレースを制しました。その後継として登場し、'69年日本グランプリで1-2フィニッシュを飾ったのがR382。このクルマは、アメリカのCan-amシリーズへの出場も視野に入れた、グループ7クラスのビッグマシンです。
'69年グランプリには、最初はR381から継承したシボレー製の4963ccでエントリーしていましたが、レース直前に自社開発のV12、6lへの改造申請を提出。当時のレギュレーションでは、違反ではなかったものの、5lエンジンで勝負を挑んできたトヨタ7勢は、決勝で大きく水を開けられ、黒沢、北野が1、2位でゴールしました。
'69年グランプリには、最初はR381から継承したシボレー製の4963ccでエントリーしていましたが、レース直前に自社開発のV12、6lへの改造申請を提出。当時のレギュレーションでは、違反ではなかったものの、5lエンジンで勝負を挑んできたトヨタ7勢は、決勝で大きく水を開けられ、黒沢、北野が1、2位でゴールしました。
- ●全長x全幅x全高:
- 4065×1870×925mm
- ●ホイールベース:
- 2400mm
- ●車重:
- 760kg
- ●サスペンションF:
- 独立ダブル・ウィッシュボーン:コイル
- ●サスペンションR:
- 独立ダブル・ウィッシュボーン:コイル
- ●エンジン:
- V12気筒DOHC
- ●排気量:
- 5954cc
- ●最高出力:
- 580ps/7200rpm
- ●生産国:
- 日本
ポルシェ904GTS/Porsche904 Carrera GTS

個人 蔵
356ベースのカレラ2の後継車として、1963年秋に登場したGTレース用モデル。生産型ポルシェで初めて、ミドエンジン、鋼板プレス・シャシー、FRPボディを採用しました。エンジンは、RSやカレラ2に積まれていたフラット4、4カムの2000ccユニットを冷却系を中心に改良して搭載。高い信頼性と実用性を武器に、ヨーロッパでは64〜65年に、ル・マンからモンテカルロ・ラリーまで、さまざまなイベントで活躍しました。
第2回の日本グランプリでは、前日の予選でクラッシュしたにもかかわらず、翌日、不死鳥のように蘇ったことが、伝説のように語り継がれています。その修復を行ったのは、名古屋市内の某所。針金や浴衣の生地、冷蔵庫の断熱材など、手近にある使えそうなものは、なんでも応用し、徹夜で作業を行ったそうです。
第2回の日本グランプリでは、前日の予選でクラッシュしたにもかかわらず、翌日、不死鳥のように蘇ったことが、伝説のように語り継がれています。その修復を行ったのは、名古屋市内の某所。針金や浴衣の生地、冷蔵庫の断熱材など、手近にある使えそうなものは、なんでも応用し、徹夜で作業を行ったそうです。
- ●全長x全幅x全高:
- 4090×1540×1065mm
- ●ホイールベース:
- 2300mm
- ●車重:
- 650kg
- ●サスペンションF:
- 独立4リンク:コイル
- ●サスペンションR:
- 独立4リンク:コイル
- ●エンジン:
- 水平対向4気筒DOHC
- ●排気量:
- 1966cc
- ●最高出力:
- 180ps/7000rpm(DIN)
- ●生産国:
- 西ドイツ
ポルシェ906/Porsche906

プチオニオンレーシング 蔵
ロードカーとして生まれた904GTSに対して、純粋なレーシングカーとして開発された906は、別名Carrera6(カレラシックス)と呼ばれる。Carreraとはスペイン語で"レース"の意味。1950年から1954年までメキシコで行われた公道レース「カレラ・パンアメリカーナ・メキシコ」に、1953年、ポルシェ550スパイダーがクラス優勝。翌1954年には「リエージュ・ローマ・リエージュ・ラリー」で550スパイダーのエンジンを載せた356が出場し、クラスで優勝したことでポルシェの名声は不動のものになり、以降レーシングカーには、カレラの名が冠され、後には市販車にも用いられるようになりました。
'60年代の日本には3台の906が輸入されたというのが定説。いずれも第4回日本グランプリに出場し、生沢徹選手の906が優勝しました。 総生産台数65台。
'60年代の日本には3台の906が輸入されたというのが定説。いずれも第4回日本グランプリに出場し、生沢徹選手の906が優勝しました。 総生産台数65台。
- ●全長x全幅x全高:
- 4170×1750×960mm
- ●ホイールベース:
- 2300mm
- ●車重:
- 675kg
- ●サスペンションF:
- ダブル・ウィッシュボーン:コイル
- ●サスペンションR:
- ダブル・ウィッシュボーン:コイル
- ●エンジン:
- 水平対向6気筒SOHC
- ●排気量:
- 1911cc
- ●最高出力:
- 210ps/8000rpm(DIN)
- ●生産国:
- 西ドイツ
トヨタ7/TOYOTA7

セシリアレーシング 蔵
3l、5lと、排気量で区分けされて呼ばれるトヨタ7の最初のモデル。'68年日本グランプリのためにトヨタが開発したプロトタイプ。最初の試作車は、トヨタ2000GTの直列6気筒エンジンを搭載してテストが行われ、その後V8エンジンに換装されました。このエンジンは、同じ型式のセンチュリー用とはまったく別物で、2000GT、1600GT用のエンジンと同じく、当時は技術面
で密接な関係にあったヤマハ発動機が開発にかかわっていたといわれています。
第5回日本グランプリに4台が出場したトヨタ7は、シボレーの5.5lV8を搭載したニッサンR381に対して非力なことは否めず、8位が最高位。その雪辱をはらすために5lバージョンが登場しますが、日本グランプリそのものの形態が変わたこともあって、ついに勝利を得ることはできませんでした。
(5/3より公開予定です。)
(5/3より公開予定です。)
- ●全長x全幅x全高:
- 4020×1720×850mm
- ●ホイールベース:
- 2330mm
- ●車重:
- 750kg
- ●サスペンションF:
- 独立ダブル・ウィッシュボーン:コイル
- ●サスペンションR:
- 独立ダブル・ウィッシュボーン:コイル
- ●エンジン:
- V8気筒DOHC
- ●排気量:
- 3000cc
- ●最高出力:
- 330ps/--rpm
- ●生産国:
- 日本
