HOME >> 人権・同和教育シリーズ 2006/2月上旬
2006 YOKKAICHI
人権・同和教育シリーズ
生きる権利を守るために

 四日市市で国内初の本格的な石油化学コンビナートが動き出したのは、昭和34(1959)年のことでした。このことは戦後の高度経済成長の象徴であるとともに、その後の深刻な公害の始まりでありました。
 四日市ぜんそくといわれる呼吸器系疾患や悪臭、騒音のほか、海の汚染による異臭魚などに多くの市民が苦しめられました。患者を中心とする市民運動は、硫黄酸化物の総量規制をはじめとする、行政や企業の取り組みへとつながっていきました。
 現在企業とともに市では、大気汚染の常時監視、工場排水の立ち入り調査、河川や地下水の水質調査など、さまざまな方法で大気や水の汚染に関する監視・測定を行っています。また、道路に面する地域では騒音・振動測定、悪臭パトロールなどを行い、より良い環境の保全に努めています。
 私たちは誰もが健康で自分らしい生活を送りたいと願っています。四日市公害の歴史は、そうした人間の基本的な権利を、市民の手で取り戻そうとした歴史であるといえます。その意味でも四日市公害の記録は過去のものとして風化させず、市民の手による環境・人権を守る取り組みの記録として残していくべきではないでしょうか。
 市では昨年、「証言 四日市公害の記録」を完成させました。全6巻からなるこのビデオには、公害健康被害者、学識経験者、市民運動団体、企業、行政のそれぞれの立場での取り組みが、インタビューや当時の映像などを交えて記録されています。
 ビデオは無料で貸し出しを行っていますので、ぜひご利用ください。また環境学習センター内の公害資料室にも、ビデオのほか多数の資料がそろっています。これらを活用して生きる権利を守るということについて、今一度考えてみませんか。


担当:環境保全課
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