公害のはじまり

 

 伊勢湾北部は優れた漁場として知られていたが、昭和33年頃から石油臭いという悪評が立ち始めた。

 第1コンビナートが本格稼動しはじめた後の35年頃には、異臭魚のとれる範囲が四日市の沖合4キロまで達するようになり、東京築地の卸売市場で「厳重な検査が必要」との通告を受け、返品や買いたたきによって漁獲高・量ともに大きな被害を被った。これが四日市公害の始まりとなった。

伊勢湾北部における異臭魚の分布状況

おばけセイゴ(奇形の魚)


(撮影:澤井余志朗氏)

 

異臭魚発生

 異臭魚問題で生活を脅かされた漁民はさまざまな抗議行動を起こした。

 昭和35年以降各種の調査が行われたが、三重県は「伊勢湾汚水対策推進協議会」を設置し、異臭魚発生の原因を「コンビナートの工場廃水中の油分が魚体に吸収・移行して起きる」という結論に達した。

油の浮いた海

 

海の汚染

 四日市海上保安部の巡視艇でパトロールしていた係官が、四日市港の南部で、埋立地のコンクリートがぼろぼろに溶けているところを見つけた。

 海水をくみ取ろうと、手を入れると痛っと言う。PH試験紙を水につけると真っ赤になった・・・。
 
強い酸性だった)

 

石原産業の硫酸排出事件

 昭和46年、石原産業を港則法違反、水産資源保護法違反、工場排水規制法の無届け操業などで起訴。 昭和55年、有罪判決がでた。

 この摘発はそれまでの行政がチェックしきれなかった環境破壊への大きな警鐘とならなければいけなかった。また、安全面もおろそかにされていたことも解り、これをきっかけに、海の安全チェック、港の汚染などが大きく見直されたのはいうまでもない。

 

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