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昭和30年代、日本はいまだ戦後の復興期で経済的に豊かとはいえませんでした。そこで、四日市の
港を埋め立てて石油化学コンビナートという大規模な工場の団地がつくられることになりました。
ところが、それまで予測できなかった問題がたくさん起こってきました。
「四日市公害」です。 |
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しかしながら、当時の法律ではコンビナートを取り締まることができませんでした。
この裁判によって工場の煙が四日市ぜんそくの原因と認められたのです。そこで、工場は公害を防止
する技術の研究や開発に多額のお金をかけるようになりました。また、裁判では工場だけでなく、国や
県、市の責任も指摘されました。その結果、公害を取り締まる法律や、患者の救済のための法律が整備
されることになりました。
このような住民、工場、行政の様々な努力により、四日市公害はひとつの山を越えました。 |
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- INDEX - かんきょう 四日市 - 四日市市環境部 Copyright 2001 City of Yokkaichi,Mie,Japan |