小学校の生活

→子どもたちの作文

- 塩浜小学校 -
 昭和41年 公害認定患者20人。のどの病気をもつ児童100人。

[ 対公害の施設 ]
教室に空気清浄機を置く・・各教室に1〜2台、教室内の亜硫酸ガスやちりをとる。
公害マスク・・活性炭入りの黄色のマスクを持ち、臭いときに使用する。
うがい室、うがい場
公害用講堂・・悪臭がひどいとき全員が避難する。空気清浄冷房設備付き。

[ 対公害教育 ]
乾布まさつ・・毎朝、教室で行う。
うがい・・一日に6回行う。
肝油をのむ・・のどを守るため、ビタミンA,Dの肝油を飲む。
体育・・体力づくりのためのマラソン。
行事・・遠足は空気のきれいなところへ。公害病児は林間学校。

昭和42年の乳児死亡率(1000人に対して)
塩浜地区・・・36.1人
四日市全体・・・25.6人
全国平均・・・18.1人
(昭和35年までは全国平均以下)

教室に入る前にうがいの励行


児童検診

 

汚染校、非汚染校のようす(昭和41年)


子どもたちの作文より...

[ 黒いけむりにつつまれた私たちの町 ] 東橋北小学校三年生

 毎日毎日、黒いけむりにつつまれながら私たちはくらしております。 私がようちえんへ行くころまでは、夏はかいすいよくじょうでした。8月のたなばたさんの時は、花火が上がり、ていぼうを犬をつれてさんぽしたことなど、おもいうかんできます。

 それがきょねんのなつから、くいうちがはじまりました。おかあさんにきくと、海をうめたてて大きな火力はつでんしょができたり、せきゆのこうばがたつのだと、おしえてもらった。

 そのときは私も小さかったので、大きなこうばがくるのだと、むねをふくらませてきたいしておりました。学校でも、ともだちに、うちのうらへ大きなこうばがたつのだと、とくいで話しをしたことをおぼえております。

 それがいま大きなりっぱなこうばができ上がりました。それとともに、くらい毎日がつづくようになりました。

 おかあさんがせっかくきれいにおせんたくしても、みんなきいろいしみがついておちません。そのしみが私のブラウスについたときは、ほんとうににくらしかった。

 それからというものは家の中にせんたくものを入れたり、おかあさんのくろうがよくわかります。けむりの方がくをみて、今日は西風だからせんたくものを出してもだいじょうぶと、うちの中のものがいっしょになっておかあさんに協力するようになりました。

 ある時、学校でべんきょうをしていたら、へんなにおいがしてきた。先生もおもわずへんなにおいがするねとおっしゃった。 家にかえっておかあさんにきくと、今日はとってもガスのにおいがして、ノドがカラカラになり、あかちゃんなんか死にそうになったのだといっていた。

 私もこのごろ、ノドがよわいせいか、ノドがいたくてたまらない。このままだとみんながそうなってしまうことだろう。一日でよいからきれいな空気をはらいっぱいすってみたいきもちでおります。 夏休みには、いなかのおばあちゃんのところへ行ってきれいな空気をみんなの分まですうてきて、私たちのよごれた町の空気を入れかえてやろうと思っている。
(1963年11月)


塩浜小学校三年四組「学級通信」の作文

はじめに−担任

  三年生になって早や一ヵ月がたち、組がえをした学年でしたが、子どもたち同士もすっかり三年生の生活に慣れた様子です。

 天皇誕生日をかわきりに、5月に入りますと連休があり、いろいろ計画があると思います。夕飯のおりなどに、憲法や子どもの日などを話題にして、一家そろって話しあうことも大切なことだと思います・・・。

 いままで、南勢(三重県南部)ですごした私は、公害問題とはおよそ無縁で、時々目にする記事も、無関心な態度で見てきましたが、この学校へ来て、空気清浄器、毎日の乾布まさつ、うがいなど、公害に対する健康管理と、考えてもいなかったことに直面しました。

 そこで、少しでも現状を知るために、公害について作文を書いてもらいました。 それによると、かぜがなかなかなおらなかったり、せきが苦しいくらいでたり・・・・自分は健康でも、家族の人にそんな人がいたり、みんな大なり小なり、被害をうけていることがわかりました。

◇◆◇

[ こうがい ]

  ぼくたちの学校のそばには、こうがいをだすこうじょうがいくつかあります。

 日本で一ばんこうがいのはげしいところは四日市です。こうがいはくさくてたまらないときがたくさんあります。こうがいの中に、目に見えないくらいのつぶつぶが、風にふかれてとんできます。そのつぶつぶをすうと、からだのよわい人はひじょうにのどがはしかくてくるしみます。こうがいがひどいと天気がぼうっとして、とおくがはっきりみえません。

 つぶつぶやけむりのようなこうがいのほかに、ありゅうさんガスというこうがいがあります。このありゅうさんガスが一ばんからだにわるいそうです。いま、しおはまびょういんに、にゅういんしているこうがいかんじゃや、また、おうちにいるこうがいかんじゃたちは、みんなこのガスで、まい日、くるしんでいます。

 この間、ぼくのおとうさんのよく知っている人が、しおはまびょういんで死にました。この人はこうがいで、声が出なくなってお話ができなくなったそうです。

 ぼくたちは、こうがいのひどい日の学校のゆきかえりには、マスクをはめたり、うがいをしたり、かんぷまさつをして、こうがいにまけないからだをつくろうといっしょうけんめいです。 けれども、こうがいのほうが、ずっとつよいです。ぼくは、よくかぜをひいて、のどがいたいです。せきもよくでます。

 こうがいは、こうばがださないようにするのが一ばんよいことです。
そして、みんなが元気にあそんだり、おしごとができるすみよい四日市に早くしてほしいです。(一部略)

◇◆◇

[ こうがい ]

 わたしの学校のよこに、こうじょうがあります。このこうじょうには、いっぱいえんとつがあり、いろんなタンクがあります。

 わたしたちは、毎朝、かんぷまさつがあります。冬になるとかけ足があります。きょ年、かけ足で、日本一しゅうというだいでかけ足をしていました。

 学校で、外がくさくなると、ほうそうで、「くさいので、まどしめて、せいじょうき(空気清浄器)をつけなさい」といわれます。

 えんとつが多いので、すぐくさくなります。
えんとつから、すごい火がでるときもあります。(以下略)(1969年5月)


[ 私は公害患者です ] 橋北中学校ニ年生

公害、公害とさわいでも、コンビナートは知らん顔、真っ赤な炎を出して美しく飾っているつもりなんだろうか。

 公害を出している人は公害がこわくないんだろうか。そんなはずがない。こわいにきまっている。ただ、強がりを言っているだけだ。

 あのコンビナートのために、たくさんの人が死んでいき、たくさんの人が苦しんでいる。公害病「ぜんそく」という、いまいましい病気のために六〇人近くの人の命がなくなっている今、なお公害はひどくなるばかり。

 私も五歳のころから発作がおこりだした。年々悪化しはじめ、小学校3年生の秋、公害患者に認定された。

 発作がおこると一晩中うなりずめ、「苦しい」と自分に言いきかせることで耐えているようなものだ。一〇時間も一五時間もすわったままで動けず、何度も足を組みかえる、せきこむと汗がふつふつとにじみ出る・・・・・。 小学校三年生は育ち盛りなのに、アバラがくっきりと姿を見せ、体力のつくひまがない。父母をよく困らせた。私がうとうと眠りだすとまたせきこみ、涙が出て顔がくちゃくちゃになった。

 体育の授業が一番嫌いだ った。とくに走るのが。でも走らないと、なぜかみんなが私を白い眼で見るようで、それがたまらなくいやだった。だから無理をして、母に叱られてもなるべくみんなと区別されないように努めていた。

 中学二年ともなれば身体も大きくなり、体力もついて抵抗力が強くなるから、発作の数は減ってきた。とは言え、やはり食欲がなく、というより苦しくて食物がのどを通らない。それに発作の数が少なくなったほうが、一度の苦しみ方は今までの苦しみの二倍も三倍も大きい、死んだほうがよっぽどましだと思うのだが、私には死ぬほどの勇気もない。

 マラソン大会でも、あの人は走らないからいいな、と思ってる人もいると思う。でも私だって好きこのんで走らないわけじゃないのに・・・・・。

 今、人工的に「ぜんそく」の発作をおこさせる薬があるそうだから、その薬を四日市中の人々がみんな飲んで、私たちの苦しみを味わってもらいたいと思う。そうしたら公害がどんなに悪いことか、よくわかるだろう。

 四日市の人々が願うべきことは、一つしかないはずだ、・・・・ただ公害が一日も早くなくなることだろう。

 去年一年間で、公害認定患者に認定されたのが一番多かった のは、私たちの学校がある橋北地区だったそうだ。

 昔は住みよかった、と母が言う。昔は美しかった、と父もよく言う。今は汚れてしまった四日市・・・・。これからどうなるんだろう。これ以上よごれたらどうしようもなくなるんではないだろうか。今でさえ、元に戻すのは無理なのではないだろうか。もうこんなになってからは、何を言ってもコンビナートは受けつけないのではないだろうか。(1972年8月)

((株)はる書房「くさい魚とぜんそくの証文」(S.59)より)

 

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