新聞・報道に見る...


 昭和30年初期にはじまった公害の発生は、40年代にはいってもまだ根本的な解決策を見出せず、連日の新聞報道やテレビなどのマスコミで「公害」という文字が見られない日はなかった。

41年当時の厚生大臣が四日市に視察に訪れる。
「悪臭にまゆ寄せる」
「公害患者の訴え聞く」
国のレベルで対策を講じなければ解決しない問題だった。

40年から41年にかけて四日市大気汚染を三重県立大学が調査を行い、その結果が報じられている。


「亜硫酸ガス急増、特にひどい夏季、過去6年間で最高値示す」
「大気汚染、四日市でも悪化」
「酸性雨、酸度はジュースなみ」
「肺気腫、肺ガンなどー死亡率が高い大気汚染地、きれいな地区の3〜7倍」etc.

公害列島、という言葉さえ生まれたのはこの頃。

 

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