| 茶業振興センター |
| 所在地 四日市市水沢町字西野268−3 電話 059−329−3367 駐車場 28台(無料) |
| 四日市市の茶業振興の施設として、製茶技術向上のための研修茶工場、消費拡大、良質茶製造の情報交換の場としての研修棟が設置されています。 またお茶の道具や古くからの製茶機械、茶刈り機なども展示されています。 |
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三重県は全国第3位のお茶の産地です。その中心的な産地は北勢地域の鈴鹿山麓に広がる丘陵地帯で、四日市市と鈴鹿市、亀山市で三重県全体の70%以上を生産しています。三重県で生産されるお茶は主に「伊勢茶」のブランドで出荷されます。 |
お茶は、茶の新芽、葉や茎を原料にした飲み物ですが、その種類は製造方法によって発酵茶、半発酵茶、不発酵茶の三つに大別されます。 簡単にいえば、お茶に含まれる発酵酵素の働きを利用して発酵させたものが紅茶、ウーロン茶で、蒸したり炒ったりして発酵を止めたものが緑茶になるのです。 つまり同じお茶の葉から緑茶、紅茶、ウーロン茶ができることになります。そして、わが国では一般的にお茶といえば緑茶をさしています。
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お茶の生育に適した気候条件とは、気候がやや冷涼で、昼夜の気温差が大きく、かつ河川に沿った湿度の高いところであり、また朝夕霧のかかるところとされてきました。市内では南西部地域の丘陵部地帯がこの気象条件に当てはまり、水沢、小山田、川島の3地区で市全体の栽培面積の約97%を占めています。 |
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| 伊勢茶の歴史は古く、今から千年以上も前の延喜年間(901〜922)に空海から栽培の教えを受けた飯盛山浄林寺(現在の水沢町一乗寺)の住職が、水沢の山の坊冠山茶の木原に茶の木を植えたのが始まりと伝えられています。この「冠山茶の木原」は、昭和56年に市指定記念物(史跡)に指定され、市と地元の保存会で保護・管理されています。 その後、お茶に対して重税が課されたために、お茶の栽培は衰退し、茶園は荒れ果て、ほとんど衰亡の状態になりました。 しかし、嘉永2年(1849)、常願寺(水沢町)の住職中川教宏が、京都の宇治から良質のお茶の種を取り寄せて植栽、茶師を招いて技術を開発し、お茶の生産普及に努めました。これが伊勢茶発展の基礎となったといわれています。 幕末から明治時代にかけてお茶は輸出産品として脚光を浴びるようになりました。農業国であった日本は、お茶を重要な輸出産品として位置づけたのです。これを契機に茶園は急速に増加していきました。多くの伊勢茶が輸出され、生糸とともに外貨獲得に大きく貢献していたのです。 現在、伊勢茶の生産は本市の農業のなかでも重要な位置を占めるに至っています。平成6年度の本市の農業粗生産額は99.4億円となっています。そのうちお茶は16.9億円で、米に次いで第2位の地位にあります。 |
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![]() お茶の時期に水沢地区など茶畑地帯を通ると、茶園一面に黒い覆いが被っている風景が見られます。これが「かぶせ茶」です。
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茶園では、一見扇風機のようなものがたくさん立っているのを見かけます。これは防霜ファンというもので、お茶の大敵である霜、特に気温が上昇してくる4〜5月に降りる晩霜に対処するための装置です。 |
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毎日何気なく飲んでいるお茶には、ビタミンC,A,Eや、フッ素、カフェイン、タンニン等が含まれています。これらの成分は成人病や虫歯の予防、整腸作用などさまざまな効能があり、これらを多く含むお茶は、近年健康飲料として各方面から見直されています。お茶が中国から伝わった当時は、今でいう漢方薬的内イメージで飲まれていたようです。従って、お茶が健康飲料であるのは当然といえば当然かもしれません。 |